コロス と コロヌ の違い。

物騒な世の中ですね。特に最近。
2chもずいぶん変わりました。


(゜д゜)「別に前から物騒だろあそこは殺すとか死ねとか言ってたし」


そういうわけではないんです。少なくとも私がはまりかけていたときは


「頃す」 とか 「氏ね」だったんですよ。「逝ってよし」なんて最たる例ですけど。


なんだ幼稚な屁理屈か、と一蹴されるかもしれませんが
この細やかな言い換えというものが、ひとつの文化としてあったのです。
最近、それが崩れています。
私はそこに何か危機感を感じずに入られないのです。


日本人は、物を考えなくなったといいます。
「やばい」をいいものと悪いものにも使ったり、
難しいもの不利益であるものを「うざい」でまとめて廃棄、目を背ける人たち(あえて若者とは限定しません)。
私は危機感を感じます。


おそらく危機が訪れたときの感情の高まり、焦燥感と、
よいものを見つけたときの感動が区別できないのでしょう。
言葉の、消失です。
人から言われればわかるといったことがよくあります。
そのような人たちの中にも、もっと言葉を見聞き知っていれば別の表現を使っていたのに、という人もいるでしょう。
ですからもっと見聞を広めていただきたいのです。


その一方、「氏ね」は新たな言語の創出です。
表音と表意のミクスド、「氏ね」には文字そのものの意味がほとんどありません。
ナ行五段活用の命令形「ね」がかすかに残っているのみです。


挑戦なのです。言語学記号学の中に含まれるとすれば、
「氏ね」でひとつの記号なのです。
言葉は生き物ですからいずれ自然淘汰がおこるでしょう。
しかし、この言葉は生き残っていると思うし、生き残っていてほしい。


ボンヤリした頭では「死ね」と「氏ね」に違いはないかと思われるかもしれません。
しかし。言葉というのは思うよりも、はるかに多彩なのです。
「死ね」なんて言葉、聞きたくない。
「死」を人に強要するなど、狂気の沙汰です。


このページ見てる間に他の人は勉強とかしてるよ?







って書こうとしたけどこの日記更新している間に他の人がどれだけ有益なことをしているやら(ノд`)