日記を書く

今日はことわざ、慣用句について考えていた。慣用句、というのはまぁいわゆる「枯れた技術」のようなもので、枯れた比喩表現、ということが出来るだろう。二回空メ薬、ではない、二階から目薬なんていうものがあるが、少なくとも点眼薬というものが日本に登場する以前にこの慣用句というのは実在しなかったはずである。そうすると、犬も〜や棚から〜に比べて、新しい気がする。アルファでありオメガである、なんていうものをこの間大辞林で見たのだが、これなどはだいぶ新しい言い回しに違いない。かにょうく、ではない、慣用句のニューウェーブである。新しい諺、慣用句を作ろう、なんていうのはもう吐き気がヘドロしてゲロルシュタイナーなぐらいにいろんなところで血反吐を吐くほどに行われていると思うので、ここでいまさら行わないが、そういった流れというのは、まああってもいい。バルコニーからアイボン、であり、パーティションにコンクリートマイクあり、カーテンにピンホール監視カメラあり、である。恐ろしい監視社会の始まりだ。もっと簡単に、既存のものを親しみやすくする流れ、というのもあっていいだろう。たなぼた、の類である。「こないだのバレてたの?!マジ壁耳じゃん!」非常にその、なんというかあまり人を貶めるようなことは言わないのであえて言わない。沈黙は金である。死人に口なしである。つまり死人に金であり、地獄の沙汰は金次第らしいので、まあ大体の死人はそこそこの暮らしが出来ているであろうことが予想できる。地獄といえども、そこまで窮屈な生活をしなければいけない場所でもないことが証明できたので、私は筆を置こう。これを、寛容区と言います言いません。