「愚痴スマソ」

「愚痴ってスマソ」という人は何を考えているのだろう?愚痴を書くことはそんなに申し訳ないことなのか?たとえばその場が学術系のきっちりした文しか認めないような場だったり、参加者全員が己のみを削って面白さで勝負しているような場ならわかる。が、世の中そういう場だけではない。ゆるい連帯感を共有することが目的、もしくは目的がないものも珍しくない。そういう場に愚痴を一回書いただけで謝ると言うのははっきり言ってどうかしている。たとえばそういう人からすれば、「申し訳」無しに愚痴を書いた人がもし出ればそれはならず者なのか?まあ結局「人に強要しなければいい」あたりのメタヒューリスティクスに落ち着いてしまう話ではある。そういう人は、たとえば「愚痴書くな」と言われたことがあるのだろうか。ああ。そうか。そういう経験があるなら仕方ないね。そういう人をも唸らせるような「読ませる愚痴」が書ければいいけれどもなかなかそうはいかんよねぇ。はいまた結論ぶれましたよ。