日記を書く

○○○(人の名前)がやるなら俺やらんでええよね、という思考が、自分の中に存在する。たとえば、数学の問題集なんかを見ていても、人がやっていないところから始めたり、連れ同士集まって遊ぼうぜ、となっても、みんな集まって楽しむんやろ、じゃ別に自分いかんでええよね、的な。そこらへんは妙な効率主義とあとは怠惰な性格が関係してくるのだけれども、最近それの弊害ばかりが目立つようになってきた。たとえば、音楽。私の好きなアーティストのことに入れ込む他の人を見つけると、ああ、じゃあ自分はもういいや、となる。どうもうちの親はハルヒなりらき☆すたなりをチェックしているらしい(アニメの話である、確証はない)のが、そうすると、じゃあもう自分はそっち寄りのアニメは見ません、となる。現象だけ見ると、「自分は人と違う」という演出をしたい中二だか高二だかと変わらないのだが、そうではないと信じたい、そんなしょぼい自尊心も、あったり、する。ここらへんは、いわゆる「キャラ」という概念が日常生活にまで浸透(侵略?)してきたこと(キャラがかぶる、とか普通に言いません?)とも関係しているんだろうなぁ、と思いつつ、治す気は今のところなく、治す方針も立たない。せいぜい、「自分の楽しみを盗まれた!」と逆恨みしないように、日々自らを制止するよう努めるぐらいしか、ない。