日記を書く

自分には文章力がないなぁ、といつも通りぼんやり考えていた。しかし、文章力っていったいなんだろう?文章で何をする力なのか、まったく字面に出てきていないがゆえに、非常にあいまいな解釈が可能になっている。文章で概念を人に理解させる力なのか、文章で人を殺傷する力なのか、文章をひたすら量産する力なのか、文章で収入を得る力なのか、文章でおっぱいを大きくする力なのか、そこには明示されていない。まあ少なくとも最後の力は私には無いんだけれども、例えるなら、手先の器用さも、指先の素早さも、握力も、手首のスナップも、ピアノを弾ける能力もタイピング速度の速さもすべて「手力」と表しているようなものである。のか。「てか」ではない。しかし、そのままでは手で100円玉にタバコを通すような力を表してしまいそうではある。例えるなら、早く走る力も、長く走る力も、高く跳ぶ力も、遠くへ跳ぶ力も、蹴る力も、踏む力も、太ももによって、ふくらはぎによって、足首によって、男を魅了する力も、すべて「脚力」と表すようなものである。のか。「あしか」ではない。あぁ、太ももは主に裏側で。そもそも、自分には文章に何かをさせようという気がないように見える。「と思う」「に見える」「と考えてみた」「まぁ、〜」どれも文章を弱体化させるファクターである。慎重に慎重にトゲを抜いた文しか作れないというのは、どこか寂しい。これでは、私の文を見た人に、何か強い感情を惹起させることなど、出来るわけがない。物を考えさせることなど、出来るわけが無い。人間は考える脚である。考えなければ、ただの脚である。大腿二頭筋、ならびに半腱様筋である。