人間というのは、言葉を持つ動物です。
事象を叙述する、それが言葉です。
たとえば、「私ははてなダイアリーを使っている。」のように。
言葉というのは、便利です。
「私は「週刊私のおにいちゃん」をもっている」という事象を
直接的に表すには、その場に持ってくるしかありません。
しかしそれが車みたいに大きいものだったり土地のような動かせないもの
であったらどうしましょう。
そこで、言葉です。
「私は「わたおに」を持っている。」という事象を、ただ言葉にして
「私は(略」と伝えるだけで、自動的に言葉は相手の脳内で事象にエンコードされます。


言葉とは、ラベルです。
物や行動、状態にラベルを貼ることでそれらを指し示すことが出来ます。
ところが、ラベルは指し示すものがなくても印刷することが出来てしまう。
「事象」と「言葉」のずれの発生です。


そして、言葉は暴力になるまでに発展しました。
「言葉の暴力」という言葉自体はもう古いものでしょうか。
「傷つけられた」ということを言えば、まず人は切った張ったではなく
「心の傷」というものに脳内でエンコードします。今は。



そしてなかなか癒えないものと相場が決まっています。


あたりまえでしょうねぇ。



















もともと無いんですから。


引用符最高(何